前橋市域には長い歴史が各地域に刻まれています。古墳時代には、東日本最大の前方後方墳である前橋八幡山古墳や前橋天神山古墳、石室のつくりが見事な宝塔山古墳・蛇穴山古墳がなど、東国を代表する古墳が築かれました。古墳時代の終わりころには、総社地区に塑像などの優美な出土品で知られる山王廃寺が創建され、奈良時代に元総社地区に国府や国分寺がつくられるなど、古代上野国の政治・文化の中心地として栄えました。
前橋城は文明年間(1470年代)に築かれたと考えられ、江戸時代には酒井氏や松平氏が前橋城の城主となり、城下町として街の基礎が整えられました。
幕末期には製糸業の隆盛を背景として、初代前橋市長となる下村善太郎をはじめとした生糸商人たちにより街は復興し、明治17年初代県令楫取素彦の提言で、迎賓館である臨江閣本館と茶室が建てられました。
太平洋戦争により本市は中心市街地の8割を焼失しましたが、戦災復興事業や町村合併により街は大きく発展し、平成13年には特例市、平成21年4月には中核市へ移行するなど、さらなる飛躍を続けています。