慶長6年(1601)に初代の総社藩主となった秋元長朝は、総社城の築城や城下町の建設、そして天狗岩用水の開削など数々の事業を行って領内の石高の増加に努め、総社の地を豊かな土地へと変えました。秋元氏が総社藩を治めたのは、長朝と泰朝の二代30年あまりですが、総社の基礎を築いた秋元氏は、転封後もなお領民に愛されました。ここでは、ジオラマなどによって秋元氏の事業の様子を見ていきます。
秋元長朝は、入封後まもなく新田開発などを目的として、天狗岩用水の開削に着手しました。大変な難工事でしたが、領民の協力を得て3年後には通水に成功しました。この模型は用水を掘削する様子を復元したものです。
秋元氏の菩提寺である光巌寺には、領主と領民のきずなを示す碑が残されています。力田遺愛碑は、領主であった秋元氏の功績をしのんで、領民が建てたものです。