前橋フィールドミュージアム

おうちでミュージアム③

秋元氏と天狗岩用水

前橋市総社歴史資料館

 慶長6年(1601)年、関ケ原の戦いの戦功によって総社藩主となった秋元長朝(あきもとながとも)は、総社に移ってまもなく総社城の築城に着手しました。築城と併行して「天狗岩用水(てんぐいわようすい)」の開削を始め、領民の協力のもと3年後には通水に成功しました。秋元氏が総社を治めたのは、長朝(ながとも)と泰朝(やすとも)の二代わずか33年でしたが、新田開発をはじめとした数々の事業を手掛け、6千石の藩を1万石へと押し上げました。

 その後、甲州谷村(山梨県都留市)を皮切りに川越や館林などに移りましたが、秋元氏歴代の墓は総社の地にも築かれ、光巖寺(こうがんじ)などにはゆかりの品々が残されるなど、秋元氏と総社領民の交流は続きました。秋元氏の菩提寺(ぼだいじ)である光巖寺の境内には、強いきずなを示す碑が残されています。「力田遺愛碑(りょくでんいあいひ)」は、秋元氏が国替えになってから100年以上たった安永5年(1776)に建立された石碑です。用水路の開削などの事業を進め、総社の地を豊かな土地に変えた秋元氏の功績を、後世に伝えるために建てられたものです。「百姓達建てる」と最後に刻まれているように、領民自らの手によって建てられました。領地が移った後もなおしたわれた領主と領民の強いつながりを表しています。

 「力田遺愛碑」は光巖寺境内で実物を見学いただけます。また、総社歴史資料館では、碑の複製品のほか読み下し等の解説がありますので、開館となりましたら併せてご見学ください。

総社城推定復元図

 力田遺愛碑(光巖寺)

 力田遺愛碑 碑文