前橋フィールドミュージアム

【速報!】発掘調査報告 元総社蒼海遺跡群発掘調査(153)④

前橋市文化財保護課

 市教育委員会では、前橋市都市計画事業元総社蒼海土地区画整理事業に伴う発掘調査を、27年 にわたって行っています。

 令和7年度は、6地点で調査を予定しています。

 今回は、調査区4区の調査状況を報告します。

 

【遺跡の情報】

 遺跡名:元総社蒼海遺跡群(153)4区

 調査場所:前橋市元総社町地内

 調査予定面積:257㎡

 調査期間:令和7年9月1日~10月22日

 

「発掘風景 井戸(Iー4)を掘り始めた頃」 

 発掘調査では、遺構の存在が確認された段階で、どのような遺構であるか予想してから掘り始めますが、実際に掘ってみると予想と違う遺構だったということもあります。そのため、常に遺構の調査状況を確認し、必要に応じて掘り方や掘る道具を変え、柔軟に対応していく必要があります。

 この画像で掘っている遺構は、はじめ、「地下式土坑(地下の貯蔵施設)であり、天井の土が崩落してしまったものではないか」と考えていましたが、掘り進めるうちに大きな井戸であることがわかりました。人力では掘り上げることが困難であったため、最後は重機で掘削しました。

 

「全景(上が北)」

 今回の調査区は、今年度調査を行う場所のなかでも最も広い面積となります。竪穴状遺構が1基、土坑が9基、 地下式土坑が1基、土壙墓 (推定されるものを含む)が3基、蒼海城の堀と考えられる溝跡が2条、井戸が5基、ピット(柱穴)は213基検出されました。
 

【溝】

 今回の調査では、合計2条の大規模な溝が検出されました。

 いずれも、蒼海城の堀と考えられる溝で、北から南にかけて掘られています。

 

「W-1」

 安全配慮のため、溝の底面まで調査することはできませんでしたが、東側は角度をもって斜めに立ち上がることを把握しました。 また、反対側の立ち上がりは調査区外ですが、過去の調査結果から、反対側も斜めに立ち上がりV字状の断面になると考えられます。

 

「W-2(画像下が北)」

 堀の西側の立ち上がりは強く角度が付けられています。東側にはほぼ平坦なテラス部分があり、テラスの東端から緩やかに立ち上がります。また、調査区の南側では、堀が狭窄していました。この部分は、溝の屈曲する箇所に当たると考えられます。なお、堀の底面から、宝篋印塔の頂部にあたる相輪や土器の破片が出土しました。これは、当時の人々が不要になったものを堀に廃棄したものであると考えられます。

 

「宝篋印塔の相輪・土器の破片の出土状況」

 

 

【土壙墓】

 合計3基の土壙墓と考えられる遺構が検出され、そのうち1基(DB−1)からは、遺存状態は悪いものの人の頭部と足の骨が出土しました。骨の配置から、この人物は、体を西側に向け、体を抱え込むように曲げて埋葬(屈葬)されたと考えられます。

 

【井戸】

 合計5基の井戸が検出されました。なかでも、当初は地下式土坑として調査したI-4は、ひときわ大きい井戸でした。

「井戸(I-4)」

 地山(人の手が加わっていない土の層のこと。今回は総社砂層)まで掘り下げた状態のI−4です。底面まで調査できませんでしたが、長軸4m以上、深さ2.4m以上になることがわかりました。

 

【まとめ】

 今回の調査区では、大規模な堀や井戸の跡が検出されました。人力ではとても掘りきれず、一部重機を用いて掘削を進めましたが、溝の開削などに携わった当時の人々はこれらの労力をほぼ人力のみで完成させたと考ると、往時の人々の苦労が偲ばれます。

 蒼海城は、その縄張りを示す絵図が複数残されており、発掘調査でみつかった堀の跡と照らし合わせることで、蒼海城の具体的な範囲を特定する試みがされています。今回見つかった堀は、蒼海城内にあった「清徳寺」の北側部分に当たると考えられます。ここを起点として、周辺で行われる今後の調査において、検出される遺構の予測を立てる事ができます。

 

 9月25日現在、5区の調査に着手しています。

 次回の報告をお楽しみに!