前橋市文化財保護課では、市内各地において遺跡の発掘調査を行っています。
今回は「令和7年度上野国府等範囲内容確認調査」から、8月までの調査状況をご紹介します。
【遺跡の情報】
遺跡名:推定上野国府跡
調査場所:前橋市元総社町地内
調査予定面積:計472㎡
調査予定期間:令和7年5月26日~令和8年1月上旬
調査原因:範囲内容確認調査
主な時代:古墳時代、古代、中世
【遺跡の概要】
前橋市文化財保護課では、「上野国府」(現在の群馬県庁に相当する古代の役所)があったと推定されている前橋市元総社町において、その実態解明を目的とした発掘調査を継続的に実施しています。
今年度も昨年度に引き続き、古代の役所に関連すると考えられる建物跡が多数確認されている元総社町の宮鍋神社(みやなべじんじゃ)周辺で発掘調査を実施しています。
①91トレンチ
宮鍋神社の北約140mの地点に調査区(91トレンチ)を設定し、5月26日から8月7日にかけて発掘調査を実施しました。
91トレンチのすぐ北側では、飛鳥時代から奈良時代にかけて(7世紀末~8世紀初頭)の製鉄炉跡が確認されています(元総社蒼海遺跡群(64))。この製鉄炉は群馬県内でも初期の段階に属するもので、上野国府の始まりを考えるうえでも重要な遺構です。91トレンチでは、この製鉄炉に関連する遺構の検出を目的として調査を行いました。
調査の結果、中世以降の耕作などによる土地改変が著しく、目的としていた製鉄関連の遺構は検出できませんでした。しかし、製鉄遺構の周辺から発見されることが多い「鉄滓(てっさい)」と呼ばれる遺物が多数出土しました。
「鉄滓」とは、鉄鉱石や砂鉄などの原材料を溶かして鉄を作る際に生じた不純物のことです。91トレンチからは、鉄滓のなかでも「流動滓」と呼ばれるものが多く出土しました。これは不純物を含んだ鉄が炉から流れ出て冷え固まったもので、流れたときの形ををとどめています。
91トレンチから出土した鉄滓も、すぐ北側にある製鉄炉跡から流れ込んだものと考えられます。このトレンチでは古代の製鉄を直接示す遺構は確認できませんでしたが、鉄滓のような出土遺物を分析することで、この地で行われていた製鉄の様相に迫ることができます。
このほか、91トレンチでは、上幅約2.6m、下幅約0.85m、確認面からの深さ約0.95mを測る溝(W-1号溝跡)が東西方向に走る様子が検出されました。この溝は東隣で過去に実施された元総社蒼海遺跡群(37)の調査で検出された溝跡とつながるものと考えられ、中世以降のものと推定されます。溝の西端は、中段にテラスをもつ独特の形状をしており、溝内の堆積を確認したところ、底面付近で砂層が確認されました。このことから、この溝には水が通っていた可能で井があります。
このW-1号溝跡の性格は現時点では不明ですが、溝が牛池川の方向に向かっていることや通水の痕跡から、川を介した水運に関わる施設だった可能性も考えられます。
91トレンチ全景(東から)
左手前がW-1号溝跡です。
91トレンチW-1号溝跡全景(東から)
中央部が黒くなっているのは、地山の層位の違いによるものです。
91トレンチ出土鉄滓
中央は、鉄が流れた状態で固まった流動滓です。
②92トレンチ
宮鍋神社の北北西200mほどの地点に調査区(92トレンチ)を設定し、8月18日より調査を開始しています。92トレンチのすぐ西隣では、昨年度に調査を実施(90トレンチ)しており、宮鍋神社周辺で確認されている倉庫群の北側を区画するものとみられる溝跡が確認されています。92トレンチは、この溝跡の続きを確認することを目的として調査を進めています。
調査区の北端では、蒼海城の堀と考えられる大型の溝(W-1号溝跡)が東西方向に走っていることが確認できました。この溝の中からは、鉄製のヤジリ(鉄鏃)が完全な形で出土しました。この鉄鏃は中世のものと考えられ、蒼海城が機能していたころに使われたものかもしれません。
この鉄鏃は古代の役所とは直接関連しませんが、折れたり欠けたりすることなく出土しており貴重な発見となりました。
92トレンチの調査はまだ継続中ですので、次回はその様子をお伝えしたいと思います。
92トレンチW-1号溝跡鉄鏃出土状況
92トレンチW-1号溝跡出土鉄鏃
全長18cm、刃部の長さ7cm