前橋フィールドミュージアム

発掘調査速報!令和6年度上野国府等範囲内容確認調査(9~11月の調査状況)

前橋市文化財保護課

前橋市文化財保護課では、市内各地で遺跡の発掘調査を行っています。
今回は「令和6年度上野国府等範囲内容確認調査」から、9~11月の調査状況をご紹介します。

 

【調査の概要】

遺跡名:推定上野国府跡
調査場所:前橋市元総社町地内
調査予定面積:640㎡
調査予定期間:令和6年6月10日~同年12月下旬
調査原因:範囲内容確認調査
主な時代:古代・中世

 

 前橋市文化財保護課では、「上野国府」(現在の群馬県庁に相当する古代の役所)があったと推定されている前橋市元総社町で、その実態解明のための発掘調査を継続的に実施しています。

 昨年度に引き続き今年度も、古代の役所に関連すると考えられる建物跡多数見つかって元総社町の宮鍋神社(みやなべじんじゃ)周辺で発掘調査を実施しています。

 

6月の調査状況は こちら

7月の調査状況は こちら

8月の調査状況は こちら

 

【9月~11月の調査状況】

9月~11月は、8月に調査を開始した88トレンチ、89トレンチの調査を行いました。その調査結果をトレンチごとにご紹介します。

 

○88トレンチ

宮鍋神社の北東、現在の牛池川に近い場所に設定したトレンチ(調査区)です。
調査の結果、ピットや土坑が数基検出されたのみで、古代の役所に関連する遺構は確認できませんでした。現代の造作による撹乱が著しく、遺構は壊されてしまったと考えられます。

88トレンチ全景(北西から撮影)

 

○89トレンチ

宮鍋神社の北に設定したL字形のトレンチです。付近はこれまで発掘調査があまり行われてきませんでした。

8月にもお知らせした通り、L字形トレンチ東西方向の辺の東端からは、平安時代の1108(天仁元)年に起きた浅間山の噴火による軽石層が検出されました。この軽石層の下からは井戸が見つかり、調査中にも水が湧き出てきました。

井戸内の土層堆積の様子です。白矢印で示した砂層が軽石層です。(南から撮影)

 

この井戸の検出地点を含めたトレンチ東側は自然堆積層に覆われていました。89トレンチは周辺より1~2m程度低い地形となっており、堆積層の一部には洪水の痕もみられることから、近くを流れる牛池川の氾濫によって形成された堆積層とみられます。

トレンチ西側では自然堆積層は確認されず、それより古い総社砂層(地山)が自然堆積層と同じ標高で確認されました。もともとこの場所は、西側が高台、東側が低地となっていたようです。

総社砂層と自然堆積層の境界部では、古墳時代後期(6世紀)初頭頃に起きた榛名山の噴火による火山灰層が検出されました。この火山灰層は東に向かって傾斜して庵、自然堆積層はこの上に乗っています。古墳時代にはこの火山灰層検出地点が大地と低地の境目だったと考えられます。今回調査したトレンチ西側の高台部は後世に削られたものとみられます。

黒い層の上にある黄色がかった層(白矢印)が榛名山の火山灰層です。左奥(東)に向かって傾斜している様子がわかります。(北西から撮影)

 

総社砂層が確認されたトレンチ西側(L字の南北方向の辺)では、200基近い数のピットや、直径4m以上もある大型の井戸などが検出されました。いずれも中世の遺構とみられ、蒼海城にかかわるものである可能性があります。

南北方向全景。手前から中央部にかけて多くのピットが、奥に大型の井戸跡が確認されました。(南から撮影)

井戸のうちのひとつからは、板碑と呼ばれる中世の石碑が出土しました。板碑は主に供養塔などとして作られたもので、上部には仏を表す梵字が大きく刻まれ、その下に建立年などを刻むことが一般的です。今回出土した板碑にも梵字が刻まれていますが、下部は欠損しているため年代は不明です。

板碑出土状況。中央に阿弥陀如来、下に勢至菩薩と観世音菩薩をそれぞれ表す梵字が刻まれています。(東から撮影)

88・89トレンチは11月で調査を完了しました。12月は新たに90トレンチを調査する予定です。90トレンチの調査状況等は次回お伝えします。