前橋市文化財保護課では、市内各地で遺跡の発掘調査を行っています。
今回は「令和6年度上野国府等範囲内容確認調査」から、7月の調査状況をご紹介します。
調査の概要と6月の調査状況は こちら
【7月の調査状況】
前橋市文化財保護課では、「上野国府」(現在の群馬県庁に相当する古代の役所)があったと推定されている前橋市元総社町で、その実態解明のための発掘調査を継続的に実施しています。
7月は、6月に引き続き87トレンチの調査を行いました。
古代の役所に関連する遺構は確認できていませんが、6月の記事でご紹介した蒼海城の堀跡のほか、竪穴建物跡5軒を調査しました。
竪穴建物跡は古墳時代のものが3軒、平安時代のものが1軒、時期不明のものが1軒検出されました。このうち平安時代の建物跡(1号竪穴建物跡)からは、カマドが2基確認されています。これは、竪穴建物が使われていたときに、カマドを造り替えたものとみられます。現代風に言うと、キッチンのリフォームでしょうか。
この2基のカマドからは「丸瓦」がそれぞれ出土しました。このうち古いほうのカマド(南東カマド)から出土した丸瓦には文字が刻まれていました。丸瓦は屋根に葺く瓦の一種ですが、竪穴建物に瓦を葺くことはありません。当時瓦が屋根に葺かれていたのは、寺院や役所など、ごく限られた建物だけです。
今回カマドから出土した瓦は、おそらく国分寺や国分尼寺、山王廃寺といった近隣の寺院や、国府で使われていた瓦を再利用したものでしょう。実際に、南東カマド出土の瓦に刻まれていた文字と同じ文字が刻まれた瓦が、山王廃寺や国分尼寺からも出土しています。
この1号竪穴建物跡は、出土土器から10世紀頃のものと考えられます。11世紀前半の時点で、国府や山王廃寺、国分寺、国分尼寺は荒れ果てていたということが文献記録から窺えます。今回のように一般の竪穴建物から瓦が出土することは、一般の人々が国府や国分寺などの屋根から落ちた瓦を持ち出し、カマドの構築に利用したことを示しており、当時の元総社町周辺地域の様子を表しているといえるでしょう。
87トレンチの調査は大詰めを迎えており、8月は次の88トレンチ・89トレンチの調査状況をお伝えします。
1号竪穴建物跡で検出された2基のカマドです。上の写真が新しいカマド(北東カマド)、下の写真が古いカマド(南東カマド)です。矢印で示したのが瓦です。
南東カマドから出土した瓦にきざまれていた文字です。という文字が刻まれていました。この文字については「坂」と読む説などがありますが、はっきりとはわかっていません。