大正時代初めに、塔の心柱を支える塔心礎が偶然発見されて見つかった山王廃寺は、その後の調査の結果、東日本を代表する古代の寺院であったことがわかりました。昭和~平成の調査によって、寺院の伽藍配置が明らかになったほか、石製鴟尾や根巻石、金銅製飾金具、塑像など数多くの優美な出土品が発見されました。山王廃寺がどのような寺院だったのか、出土品などから見ていきます。
鴟尾や根巻石などさまざまな石造物が出土しています。鴟尾は屋根の棟飾りで、現存する石製鴟尾はわずか数例のみです。また根巻石は塔の心柱の根元を飾ったもので、蓮の花をかたどっています。
山王廃寺では、豪壮な寺院の様子を伝える資料が数多く出土しており、本資料もその一つです。緑釉陶器の水注や埦、皿、銅埦などが一括で出土しており、儀式などで用いられたものと考えられます。
塔の初層に飾られた塑像群が出土しています。塑像とは土で造られた仏像のことで、法隆寺五重塔内部に安置されているに塔本塑像と同様に、優美な世界が広がっていたと考えられます。